諏訪大社は信濃の国の一之宮、全国各地に25,000社あるといわれる諏訪神社の総本山で、上社前宮、上社本宮、下社秋宮、下社春宮の4つの宮が諏訪湖のほとりに佇んでいます。日本国内で最も古い神社のひとつとされるほど、古くから存在するといわれているそうです。諏訪大社では御柱(おんばしら)が有名であり、寅年と申年の七年ごとに行われる御柱祭りの奇祭は圧巻であり、諏訪大社には宮を取り囲むように4つの柱が立っています。
建御名方神と国譲りの段
諏訪大社の祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)、八坂刀売神(やさかとめのかみ)で、四つの宮全てで祭られています。建御名方神は古事記の国譲りの段で大国主神の御子神として登場する神です。天津神の武御雷神(たけみかづちのかみ)が国津神である大国主神に国を譲るように対峙すると、大国主の長男である事代主神はあっさりと国を譲ることを承知、しかしもう一人の息子である 建御名方神は大きな岩である千引石(ちびきのいわ)を軽々と手に持ちながら、武御雷神に力比べを果敢に挑みます。
しかし 武御雷神は建御名方神の腕を若い葦を摘むように握りつぶして放り投げ、建御名方神は諏訪の地まで退いたという。そこで建御名方神は「恐れ入りました。私はこの土地以外の場所には行きません。私の父である大国主神や兄の事代主神の言葉には背きません。天津神の御子の仰せの通りに、この国を譲ります」と言い、建御雷神に降参した。
これが古事記に書いてある国譲りの段の内容です。結果的に建御名方神は力比べ力勝負に負けたように読み解けてしまいますが、勝ち負けではなく天津神の配下に下ったとはいえ、「スワ一大事」があればいつでも馳せ参じて加勢することを誓い、この諏訪の地に鎮ったのです。
また建御名方神は別名も多く、御名方富命神、建御名方富命、健御名方富命、建御名方命、武御名方命、健御名方刀美神、武南方富命、武南方神、武御名方主命、御名方刀美命、さまざまに表記があるご神名とは、それだけその神様の働きが多彩である象徴ともいえるのです。
諏訪大社本宮と諏訪湖
諏訪大社の特徴は、諏訪大社には本殿と呼ばれる建物がありません。上社は御山を御神体として拝しております。古代の神社には社殿がなかったとも言われているので、諏訪大社はその古くからの姿を残しているといわれる所以です。
また、諏訪湖を挟んで上社と下社に別れ、それぞれ上社前宮、上社本宮、下社秋宮、下社春宮がある神社となっています。この諏訪湖にも御神渡りという、上社の男神が下社の女神に会いに歩いた跡、と伝説があり諏訪大社とも大きく関係しているところです。
御神渡りとは諏訪湖が全面凍結し、寒暖の差で氷が膨張した際に湖面の氷が盛り上がる自然現象です。盛り上がる際は大音響とともにせり上がり、神様が歩いた跡だ…、と思ったのでしょう。御神渡りが現れた年は御神渡り神事が諏訪湖湖畔で執り行われています。
御柱祭り
御柱祭り、正式名称は「式年造営御柱大祭」といい、寅年と申年の七年に一度行われる勇壮豪大な祭りで日本三大奇祭の一つに数えられています。歴史は大変古く平安初期から行われているともいわれています。室町時代の『諏訪大明神画詞』という文献に、御柱祭りに関する最初の記録が残されていまするそうです。その起源や由緒などは詳らかでありませんが、御柱に限らず「奇祭」には相当深い意味が込められていることが多く、学術的にもシャーマン的にも大変興味深い側面があります。諏訪大社で行われている神事の中でも最大にして最も重要な神事であるといえるでしょう。
御柱は本宮、前宮ともに一之柱が一番大きく、二、三、四となるにつれて、長さが約1.5mずっ短くなっていきます。太さについても順序は同じです。また上社は男神で「ツノ」があり、下社は女神で「ツノ」がありません。この御柱が古代エジプトのオベリスクに似ている…思うのは私だけだろうか。
2022年(令和4年)諏訪大社式年造営御柱大祭
次の式年造営御柱大祭、御柱祭りは2022年申年です。日程は以下のようになっているそぅてす。
御柱祭山出し 上社:4月2日(土)~4日(月) 下社:4月8日(金)~10日(日)
御柱祭里曳き 上社:5月3日(火)~5日(木) 下社:5月14日(土)~16日(月)
宝殿遷座祭 上社本宮:6月15日(水) 下社春宮:5月13日(金)