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廣田神社

雨上がりの廣田神社

廣田神社(広田神社・ひろたじんじゃ)は兵庫県西宮市大社町にある神社で、旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。201年に建立されたという廣田神社は兵庫県最古の神社として数えられ「西宮」の地名の由来ともなっている神社です。

目次

 廣田神社と由緒、西宮の地名

 ご祭神は天照大御神之荒御魂。伊勢に祭られている天照大御神の荒御魂であり、撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと)と申し上げ、伊勢神宮の内宮の第一別宮である荒祭宮の祭神と同体異名の神様。名前が違うということは、性質は同じであるが神様の“働き”が違う。言霊にあらわされる意味の働き神徳があるとされます。
 ~廣田神社由緒記より~
御主神の御名は撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかつひめのみこと)と申し奉り、即ち伊勢の神宮の内宮に御鎮座の天照坐大神の御荒御魂に坐しまし、神功皇后御征韓の時御霊威を示し給える大神なり。又御脇殿奉祀四社は御主神に尤も縁由深き神々にして古くは併せて廣田五社と称せり。


 日本書紀に記されていることとして、神功皇后が「三韓征伐」に出陣する際に天照大御神の神託があり、天照大御神の和魂が天皇の身を守り、荒魂が国難打破の道を示し軍船の先鋒となって導き建国初の海外遠征に大勝利を導いたと伝わる。その戦の帰途、神功皇后に天照大御神が神懸かり「我が荒魂を広田の国に居らしむべし」と神託を下し、神功皇后によって国の外敵外難の守り国家鎮護の神として祭ったのが廣田神社のはじまりとされています。

月岡芳年筆「大日本史略図会 第十五代神功皇后」中央:神功皇后、左側:武内宿祢

 廣田神社がある西宮は、京の都から西の方位にある重要な宮として、廣田神社への参拝を西宮参拝、西宮下向といったという。そのほか平安時代の百科事典である『伊呂波字類抄』をはじめ、本居宣長『古事記伝』、伴信友『神名帳考証』にも廣田神社を【西宮】と称したことが記されています。後に、「西宮」は廣田神社の荘園である廣田神郷(神戸市東部〜尼崎西部、有馬、猪名川に及ぶ)全体の地名として使われるようになり、近世には西宮戎神社のある地域の地名となって現在に至ります。

廣田神社の功徳とは

荒魂とは、一霊四魂(いちれいしこん)の一つです。一霊四魂とは奇魂(くしみたま)・和魂(にぎみたま)・幸魂(さちみたま)・荒魂(あらみたま)で成り立っており、それぞれ性質や働きが違います。荒魂とは勇気や忍耐、努力する力、向上心と困難を切り開く力等働きを表します。廣田神社には天照大御神の荒魂が祭られているいますが、まさに三韓征伐の守護と導きを表せる働きといえましょう。
 現代おいても阪神タイガースの必勝祈願を行っており、まさに神懸っての優勝の盛り上がりを見せます(十数年に一度ですが…)。このことから、外敵から悪だくみを見破って守り、攻撃こそ最大の防御ともいうべき神徳を発揮されるともいいます。勝運合格、立身出世、先導開拓、開運隆盛等の霊験あらたかな神域とされています。

廣田神社Gallery

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