「桃栗三年柿八年」に続く言葉は様々なバージョンがあります。私は母親からは「桃栗三年柿八年、柚子の馬鹿野郎十八年」と教えられていました。それを象徴するがごとく、我が庭には14年目にして柚子が蕾を付け、ようやく咲きそうです。
桃栗三年柿八年
「桃栗三年柿八年」とは、いろはかるたに収められている言葉です。「犬も歩けば棒にあたる」もその一つです。
意味は
果樹を植えて食べられるようになるまでに相応の歳月を待たねばならないことから、 何事も成就するまでにそれ相応の年月がかかる、ということのたとえ。どんなことも習得したり、手に入りたり、結果を出したり、成就したりするまでに、時間がかかったりするものだからじっくりと腰を据えて継続しなさい、という意。
樹木は苗を植えたら、根っこから土壌の栄養をゆっくりくみ上げ、枝を伸ばし、お日様がよくあたるように葉っぱを茂らせる。そして季節が来れば綺麗な花を咲かせ、虫を引き寄せて受粉させ、いくつかの季節と年月を繰り返して美味しい実りを付ける。人も同じですよ。という教えですね。
石の上にも三年、とは「辛抱の教え」ですが、桃栗三年柿八年は中にため込む「滋養の大切さ」を教えているものです。決して時間が掛かることは能力がない、ということではありません。ウサギと亀の話があるように、ゆっくりと時間をかけることも大切なのです。
かたつむり そろそろ登れ 富士の山
小林一茶
続く言葉とは
桃栗三年柿八年。これに続くバージョンは意外と多いものです。
- 柚子の大馬鹿十八年
- 柚子は九年で成り下がる
- 柚子は遅くて十三年
- 柚子は九年の花盛り
- 梅は酸いとて十三年
- 梅は酸い酸い十八年
- 梨はゆるゆる十五年
- 蜜柑の間抜けは二十年
他にも、「女房の不作は六十年、亭主の不作はこれ一生」という人もいるようです。もやはここまでくると言葉遊びの様相ですね。地域や年代によってバージョンが違うようですが、ちなみに私は「柚子の馬鹿野郎十八年」と母より聞いていました。
語源は
桃栗三年柿八年、語源はハッキリしておらず、前述のように「尾張いろはかるた」に収められている言葉です。諸説あるようですが、1674年江戸時代の『役者評判蚰蜒(げじげじ)』という書物に「桃栗三年柿八年、人の命は五十年、夢の浮世にささので遊べ」という歌謡が載っており、1786年に編纂された『譬喩尽(たとへづくし)』という書物には、「桃栗三年柿八年、枇杷は九年でなり兼ねる、梅は酸い酸い十三年」と書かれているそうです。
このように江戸時代後期には、庶民の享楽的な言葉遊びで「桃栗三年柿八年」が成立していた可能性があります。
柚子の大馬鹿十八年 柚子の馬鹿野郎十八年
我が庭には14年目にしてようやく蕾をつけた柚子がある。2021年4月時点。
実は庭に柚子を植えた年、蕾を付けもう少しで咲きかけた時があったのですが、小雨が降る中に見に行ったらナメクジに美味しそうに食べられていた過去があります。そこからいとうもの、14年間ほど水をやれど肥料をやれど、蕾すらつけずに14年経過。
柚子の馬鹿野郎十八年、という言葉を信じていたのか?