大地黄金とは禅語のひとつ。
自分が置かれている場所で、精一杯力を尽くすこと。そうすれば、その場所が黄金のように輝いてくる。
石の上にも三年
今の仕事が好きですか? そう聞くと大抵の人は「あまり好きではない」と答えるのではないでしょうか。石の上にも三年、という言葉は今や死語に近い存在かもしれません。自分に合うものを探しさまようことが正しい、とされるものも中にはありますが、人生そんな多くの幸せが転がっているわけでもなく、犬も歩けば棒に当たるようなことは滅多に起きないでしょう。
最小限の努力で最大限の結果を求められることは多いですが、努力の過程は決して無意味になることでもありません。寿司職人になるための10年間は無駄だ、と誰かが豪語しておりましたが、無駄にするかしないか、それは考え方次第といえます。
黄金の大地などない
黄金に輝く大地など世界中に探してもありません。しかし、自分が覚悟を決め、ここで輝くんだと、決めるならばそこで黄金に輝くものなのです。自分には合っていないかもしれない、違うかもしれない、やりたいことではないかもしれません。しかし覚悟を決め本気で取り組んだなら、いま・ここで・只今に・輝く自分がいるはずです。
自分の「外」に輝く何かがあるかもしれない、と探しているから定まりませんが、今しかない、ここしかない、やるしかない、と腹を据え覚悟を決めたなら自ずと自身が輝き始めるのです。
仕事も同じ。
好きではないかもしれない仕事。
自分には合っていないかもしれない仕事。
やりたいことと違うかもしれいない仕事。
では、あと何年探せば見つかるのでしょうか。そうやって彷徨い、人生に虚無感を醸し出していることに気づけていない。
いま手元にある仕事に本気になるしかないのです。「只今、今」を一生懸命に生きる。
確かに、好きではないかもしれない、やりたいことと違う、つまらないことかもしれない。
でも、「今」はあなたの目の前にあり、あなたのものです。「今」を楽しむほかないのです。
風に飛ばされた種は、見知らぬ土地で芽を出して、いずれは花を咲かそうとします。しかし種は自分がどこに飛ばされるのかなど、わかりません。種が落ちたところ、そこが花にとって空き地であっても、人知れぬ山奥であっても、水か少ない乾燥地域であっても、可能な限りの努力をして花を咲かせます。
いま就いている仕事や物事に不平不満を言う前に、「本気」で取り組み、「覚悟」を決めて、生きている「今」を楽しむほかないのです。
大地黄金とは、自らの足元にある大地には黄金のように光り輝く大地はありませんが、そこにいるあなた自身が置かれている場所で、精一杯力を尽くすなら、その場所が黄金のように輝いてくる。
前述の風に飛ばされた種は、落ちる場所は選べませんが、落ちたところで一生懸命に根を張り芽を出す。自分に適しているか適していないかなど考えず、一生懸命に花を咲かせようとします。人もまた同じなのです。