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占星術の歴史(紀元前~ルネッサンス期)

占星術の歴史を語ろうとすると本が一冊かけてしまいますので、略歴を記したいと思います。

目次

占星術の発祥

メソポタミア 

人類史上、占星術の発祥は紀元前3000年メソポタミア文明だろうといわれております。アラビア半島のチグリス・ユーフラテスの大河流域にシュメール人が住みつき農耕を中心とした文化を築いたのです。人々の生活の中では洪水や干ばつなどの周期的に襲ってくる天候や季節の移り変わり、突然やってくる天変事変は彼らを自然や天体に対し特別な眼差しを向ける動機になったことは自然な事であったかもしれません。それはメソポタミアから出土した世界最古の文献、ギルガメッシュ叙事詩には「大洪水は、太陽と月やほかの惑星との交合の結果である」と記述があり、すでに占星術の基が作られていたことからも想像できます。

バビロニア

 紀元前625年、バビロニアが興ると首都バビロンを中心に占星術は発展を遂げていくことになります。当時の科学は今の常識から想像を絶するほど高度だったらしいことがわかっていて、遺跡やその痕跡からは数学や天文学、暦法、建築学や芸術、医学に至るまで相当なレベルだったといわれています。
 バビロニアを構成していたのはカルディア人という人種。カルディア人は高度な科学に精通していて「神聖科学の管理人」と自認していたといわれ、高度な科学に通じていた人はほとんど占星術を学んでいたといわれています。
 しかし高度な科学をもった古代バビロニアはその後、アッシリアに滅ぼされてしまいます。その時、散り散りになったカルディア人がペルシアやエジプト、ギリシアに占星術を広めていったというのが通説です。このころの占星術とは国家の情勢を占うことが主流であり、一部の特権階級にのみ占いが許されていたそうです。

2,000年間支配した天動説

ヘレニズム文化やギリシャ神話との融合 

 紀元前330年、アレキサンダー大王がギリシア・エジプト・ペルシャを統一すると東西文化が集約され、天文学をはじめとする自然科学は空前の発展を遂げることになります。占星術もヘレニズム文化やギリシャ神話と融合して発展していき、このころに万学の祖といわれたアリストテレスが出現します。そして地球が宇宙の中心という、天動説がその後2,000年近く支配することとなります。春分点を計測した天文学者のヒッパルコスが活躍したのもこの時代です。

プトレマイオス

 2世紀頃にプトレマイオスが出現します。プトレマイオスは地理や天文学に精通しており、彼の時代よりも200年も前の天文学者ヒッパルコスが遺した資料をもとに星々の観測を続け世界最初の天文地図「アルマゲスト」、投影法を用いた世界地図「コスモグラフィア」を完成させた。
 また現代にまで「占星術の教科書」といわれた「テトラビブロス」の完成もプトレマイオスの功績です。「テトラビブロス」とはプトレマイオスのオリジナルではなく、当時の各地域に広がっていた占星術の知識や技法を集めて編纂したものであり、「テトラビブロス」に書かれてあるサインやハウス、アスペクト等の解釈は現代とあまり変わりない内容です。プトレマイオスは地球が宇宙の中心という天動説を体系付けて唱え、天文学や占星術に理論を反映させたが、今も変わらず現代占星術のチャートも天動説に基づいて作成されるのはプトレマイオスから引き継いだものといっても過言ではありません。
 また、プトレマイオスの他にもマニリウスという人物が「アストロノミコン」という詩的内容の占星術書を残しています。

プトレマイオスの宇宙

プトレマイオスの宇宙

 この図が書かれたのは1568年。
 ポルトガルの地図製作者バルトロメウ・ベーリョが作成したといわれています。この図には、宇宙の中心に地球がある宇宙観が書かれていますが、実はコペルニクスが提唱した地動説が発表されて25年後に書かれたものです。この時代では天動説がまだ主流であり、地動説が認知されるには時間がかかったことが容易に想像できます。
 中心には地球が描かれ、地球のまわりに月が27日8時間で、水星が70日7時間で、太陽が365日で、火星が2年で、木星が12年で、土星が30年で、そして一番外側に恒星が3万6,000年で地球の周りをまわっていることになっています。当時の宇宙観を物語る図のひとつです。

アラビアと占星術

 ヨーロッパではカソリック教会が猛威を振るっていたため占星術が衰退していくなか、キリスト教の影響を受けていないアラブ世界で占星術が発展を遂げることができたそうです。アラブ世界では占星術の哲学的な思想には関心が向かず、どちらかというと実用的な技法に発展がみられたという。パート・オブ・フォーチュン等のアラビックパーツの考察もこの時代から発展を遂げたといわれています。
 この時代に名を残したのはアブ・マーシャルという人物がいて、9世紀に活躍した人で「占星術概論」をはじめとして多くの書籍を残した人です。これらはこの後のルネサンス期で占星術が復興することに大きく貢献したといわれ、ヨーロッパでの占星術ブームの先駆けになった人でもあります。

ルネサンスと地動説

 13世紀に入るとトマス・アクイナスという人物が活躍します。トマス・アクイナスは「神学大全」という著書を著した人であり、占星術を積極的に支持した人と言われています。有名な言葉で「星は勧誘するが強制はしない」というのを残しています。

トマス・アクイナス

星は勧誘するが強制はしない  by:トマス・アクイナス

コペルニクスの地動説提唱

1543年
「天球の回転」でコペルニクスが地動説を提唱。

 15世紀になると科学にも大変革が訪れることになります。それはコペルニクスによる地動説の発表です。地球は太陽のまわりを回っているという、今では当たり前なことが当時では社会全体を巻き込むセンセーショナルな発表でした。コペルニクス自身は地動説を唱えたものの、それを証明する方法を見つけ出したのはティコ・ブラーエであり、実際に証明したのは17世紀の天文学者ケプラーでした。
 プトレマイオス以降、占星術も天文学も天動説の中で発展してきましたが、地動説の登場により天文学と占星術は同棲関係といえた時代は終焉を迎えることになり、以後両者の溝は深まっていったようです。
 ルネサンス期には天文歴を出版したウィリアム・リリー、占星術と人相を融合させた「観相術」を編み出したイギリスの数学者カルダーノ、予言詩で有名なフランスの医師ノストラダムスが有名です。

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